皆様こんにちは、青山美術の金和です。
先週の木曜日、金曜日と奈良県の大立山祭りにお邪魔させて頂きました。
今年から開催される事が決定したこの大立山のお祭りですが、一年の無病息災を願う新しいお祭りとして奈良市の平城京跡で行われました。
そして、その目玉となるのが、籔内先生が制作を行った四天王の原型をもとに制作された四高さ7メートルを超える巨大で鮮やかな四基の光る山車「大立山」です!
ライトアップされた大極殿をバックに光を放ちながら夜の平城京跡を巡行します。
御所市のススキ提灯献灯行事や広陵町の立山まつりなど、県内の伝統行事も登場し、大立山まつりを盛り上げます。
という事で、こちらがその四天王の光る山車「大立山」です!!!!
ちょっと遠すぎますがわかりますでしょうかその大きさ!
もう少しよってみます!
まずは、こちらが
増長天!
すごい迫力です。
そして広目天!
こちらも凛々しい表情をされております!
持国天!
そして最後は多聞天!
普段見慣れている仏像などは、ほとんど色がついているものなどは見る機会がありませんので、こういった彩色まで再現されているのは非常に新鮮です。
籔内先生は今回の制作した四天王に関して以下の様にお話されております。
ー大極殿大立山四天王についてー
治承4年(1180)に、平重衡による兵火によって、南都の大寺院の多くが甚大な被害を蒙りました。とくに東大寺は、天平創建以来の多くの仏像が灰燼に帰しました。しかしその後、俊乗房重源の勧進活動と源頼朝の支援を得て、大仏および金堂は再建されました。そして、康慶を頭領とする運慶や快慶らの若手の南都仏師たちが、十メートルを超える木造四天王立像を堂内に造立しました。
しかし残念なことに、戦国時代の松永久秀の兵火によって、ふたたび東大寺金堂は焼失してしまい、今となっては、その偉容はいかばかりであったかと想像するしかありません。しかし、近年の美術史の研究によって、高野山霊宝館と京都南山城の海住山寺に残る四天王像が、復元された四天王像の面影を最もよく伝えているらしいことが解ってきました。
このたび、大極殿前で催される大館山パレードのための四天王立像は、形状を高野山像、彩色は海住山寺像を参考にして制作いたしました。
この大館山が、繰り返された悲劇にも負けず不死鳥のように蘇った奈良の象徴として、また新しい風物詩として末永く愛されることを願っています。
籔内佐斗司先生より
今回行われた1/29のオープニングセレモニーには雨の中、たくさんの人が訪れ、皆さん1年の無病息災を祈っておりました。
皆様明日2/2まで開催されておりますので、もし機会がございましたら「大立山祭り」ぜひ拝見してください!
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